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順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月14日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える  ヴィパッサナー実践をする人も、膨らみ・縮み、痛み・かゆみなど、そのときそのときの「有る」感覚を確認していきます。この実践は思考・妄想・雑念を抑えるので、概念を頭で合成するはたらきも減っていきます。思考することなく、「有る」現象を観察していくと、新たな発見があります。「現象は、生まれては消えるのだ」ということです。今までの認識を覆っていた膜の一つが剥がれます。現象は「有」ではなく、「有であって無になる」ということを発見します。有が無になるので、現象は「有+無」ということではありません。生滅智とは、常識を一段階超えたところのことです。常識では、生滅を発見できません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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