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順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月14日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える  ヴィパッサナー実践をする人も、膨らみ・縮み、痛み・かゆみなど、そのときそのときの「有る」感覚を確認していきます。この実践は思考・妄想・雑念を抑えるので、概念を頭で合成するはたらきも減っていきます。思考することなく、「有る」現象を観察していくと、新たな発見があります。「現象は、生まれては消えるのだ」ということです。今までの認識を覆っていた膜の一つが剥がれます。現象は「有」ではなく、「有であって無になる」ということを発見します。有が無になるので、現象は「有+無」ということではありません。生滅智とは、常識を一段階超えたところのことです。常識では、生滅を発見できません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】

 
 
 

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