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順を追って心は変わる 3:理解が深まる

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月15日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 3:理解が深まる 今まで、「ものは有る」という前提で生きてきました。「有る」はずのものが「無くなる」と、悩んだり苦しんだりもしました。お金が無くなると、親しい人々と死に別れになると、健康を害して病気になると、苦しんだり悩んだりもしました。あってはならないことだと、無意識的に思っていました。無知で、現実を無視して生きてきました。 ヴィパッサナー実践をしていくと、現象は「有る」のではなく、生と滅を本性としているのだと発見します(現れるものはすべて滅するものであると、ここで疑いなく完璧に納得に達することができれば、預流果の悟りに達したことになりますが、普通の人々の場合は、それだけの智慧で悟りは現れません)。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】

 
 
 

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