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順を追って心は変わる 4:人格が変わる

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月16日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 4:人格が変わる 今までは有論(ものごとは「有る」という立場)で生きてきました。執着するのは当たり前だ、という世界でした。執着していたものが無くなると、その苦しみも感じていました。それが生滅智が現れてからは、ものごとに、自分に、執着するというスタンスが揺らいでしまうのです。ものが「有る」という錯覚のお陰で、金があれば安心だ、家族がいれば安心だ、などなどの無知から生まれた虚構の安心感で生きてきました。 しかし、その土台も、今、崩れていくのです。ものは「有る」のではないのです。生じて滅するのです。安心感が崩れたからといって、その代わりに何かに執着して、新たな安心感をつくることもできません。すべては生・滅なので、何もあてにならないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p46】

 
 
 

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