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食べ残しのような身体

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月17日
  • 読了時間: 1分

食べ残しのような身体 次にまた違う形の死体が見つかるかもしれません。その場合、ほぼ骨組みは見えますけど、あちこちに肉も付着していて、血もあって、血管も骨も見える。色んなところでまだ肉やら、血やら残っているくらいの死体ですね。いわゆる、動物がいくらか食べて逃げて行ったとかね。もうきれいに全部食べるということはないし、またある動物によっては骨も折って食べる場合もある。狐なんかはそこまでは食べないで、肉だけ取っていってしまう。烏だったら、肉だけ全部ついばんで骨は残してしまうし、ハイエナや熊が来たら、骨まで噛んで食べます。そういう食べ残しのような身体が見つかったら、自分の身体もそのようになるのだ、と自分の身体を観察するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p117】

 
 
 

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