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⑼骨が粉々になった死体

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月23日
  • 読了時間: 1分

⑼骨が粉々になった死体 Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu seyyathāpi passeyya sarīraṃ sivathikāya chaḍḍitaṃ aṭṭhikāni pūtīni cuṇṇakajātāni.つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、(9)たとえば墓地に捨てられた、もろもろの骨が腐食し粉々になっている死体を見るように、この身のみに集中します。 最後には骨も古くなって粉々の石灰状態になってしまって、もう触っただけで、壊れてしまう。手で握れば粉にできるくらいにボロボロ状態の骨を観るのです。それを観たら、自分もこうなるのだ、という観察をする。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p125】

 
 
 

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