骸骨が動いている
- sapporobukkyoujuku
- 8月5日
- 読了時間: 2分
骸骨が動いている この死体の観察瞑想に関して、あるエピソードがあります。ある女の子がお嫁に行ったところで、旦那と喧嘩して「実家に帰ります」と森のなかの道を帰ってしまった。 この女が駆け込んだ森では、あるお坊さんが九つある死体の瞑想のなかから、骨だけを取って「もう皆、骨だけです。自分の身体も骨だけであって何の価値もない」と観る瞑想をしていました。森のなかでこのお坊さんはこの女の人と出会ったのです。「みんな骨だ」と瞑想をしながら托鉢に出かけようとしたところで、目の前に骨が見えたのです。 それで、向こうから女の旦那が追いかけてくる。そしてお坊さんとすれ違ったのです。その男が、「お坊様、お尋ねしますが、この道を若い女が通りませんでしたか」と聞いたら、「いえ、女は見ていないけど、骸骨が動いているのを見ました」とお坊さんは正直に本気で答えました。女か男かは分からないけど、骸骨が動いているのは見たのだと。男は「この坊主はアホではないか」と思って帰ったかもしれませんが、アホなのはお坊さんではなくて、その他の人々なのです。そのお坊さんには骨の瞑想がしっかり身についていました。だからこのお坊さんの骨相観の瞑想は成功していたのです。 瞑想といえばたくさん種類があります。仏教が推薦する複数の瞑想では、共通するポイントがあります。俗世間の見方、価値を入れる見方と違った見方で世のなかの現象を観察することです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p132】
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