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066 記憶はいい加減なもの

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月5日
  • 読了時間: 1分

 私たちは過去の一部を覚えているだけで、他は忘れているのです。誰かに「自分の過去を思い出してください」と言ったら、とても雑に、いい加減に、途切れ途切れで思い出すでしょう。「一歳でこういうことがあって、二歳ではこういうこと、三歳ではこういうこと …」というようには思い出さないのです。以前、駅で若いお父さんと子供の微笑ましい光景を見かけました。階段を下りようとしたとき、子供は、自分で階段を下りたくないから、父親の体に飛びつきました。父親は、何のことなく抱っこしてあげるのです。私はそれを見た瞬間、「この子は大きくなったら、親に抱っこしてもらったことを覚えているだろうか」と思いました。私たちは、忘れてしまうのです。そして、何か悪いことをして「コラッ、何をやっているのだ」と怒られたことだけを覚えているのです。感情で過去を思い出しても、それは役に立ちません。記憶はすごくいい加減です。思い出せるのは、初恋の人とか、感情で記憶になった過去で、理性で引き出せる過去ではありません。私たちは感情で記憶してしまうのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【悩みと縁のない生き方 「日々是好日」 経 (2009年) p63】

 
 
 

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