top of page
検索

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

  • sapporobukkyoujuku
  • 23 時間前
  • 読了時間: 1分

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

 一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 現象をさらに観察し続ける修行者が、一切の現象に対する未練を捨ててしまうのです。この状況を厭離智と言います。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p146】

 
 
 

最新記事

すべて表示
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 
悲観主義者ではなく現実主義者

悲観主義者ではなく現実主義者  海の喩えに戻れば、なんとか理解できると思います。ぼろぼろになった浮き輪に頼って大海のまん中をさまよっている人が、自分の置かれた状況を観察すると、常識を超えた恐怖を感じるでしょう。だからといって、やることはないのです。ただ、自分の状況を観察します。浮き輪に目をやる。見るからにぼろぼろです。波に当たるたびに、古くなったゴムが壊れていきます。決して強くなったり、新しくなっ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:④ 過患智ādīnava ñāṇa

六番目の行道智見清浄:④ 過患智ādīnava ñāṇa  修行者は、滅するばかりの一切の現象に対して怖畏を感じました。執着することは想像もつかない愚かなことであると、この時点で当然、知っています。しかし知ったからといって、煩悩という感情は消えません。もしかすると観察能力がまだまだ足らないかもしれません。智慧がまだまだ足らないかもしれません。修行者はさらに集中力を上げて、nāma-rūpa を観察

 
 
 

コメント


bottom of page