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六番目の行道智見清浄:⑦ 省察智paṭisaṅkhā ñāṇa

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月9日
  • 読了時間: 1分

六番目の行道智見清浄:⑦ 省察智paṭisaṅkhā ñāṇa

 火事の喩えの続きです。燃えている寝室から脱出したくなるでしょう。しかし、その気持ちになっただけで、脱出成功とは言えません。まだ脱出を実行してもいません。脱出を実行する前に、やらなくてはいけないことがあるのです。それは火事になっている寝室を観察することです。正しく観察しないで脱出を実行すると、死んでしまうかもしれません。窓から逃げればいいやと飛び出したところで、自分は十二階に住んでいたと思い出しても、遅すぎます。廊下に逃げればよいと思って廊下に飛び出してみたら、廊下の方が火元で寝室までの延焼だった、ということもあり得ます。

 ですから脱出を実行する前にやるべきことは、火事になっている寝室を観察することです。当然、どうすれば脱出できるのかという気持ちに基づいた観察です。修行者は実際の現象から脱出したいという脱欲智に達しています。それなら、今まで観察してきた同じnāma-rūpa という現象を観察するべきです。Vipassanā とは、明確に観察する、という意味です。今度は、脱出しますという気持ちを持って観察するのです。ですから用語を変え、vipassanā ではなく、paṭisaṅkhā にしたのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p147】

 
 
 

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