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100 今の原因なら正確にわかる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月15日
  • 読了時間: 2分

 私たちは因果法則を探るときに、勘違いするところがあります。それは過去をさかのぼってみることです。それが必要な場合も、関係ない場合もあります。過去の原因を探すと、当然すべてを発見できないのです。発見しても、いまさらどうすることもできない場合もあります。過去にさかのぼらないで、いま起きた現象のいま現在の原因は何なのかと調べるならば、より正確に原因を見いだすことができます。たとえば、なぜ蛍光灯が光っているのかというと、電気が流れているからという答えが見えます。エジソンが電気を発明したからではないのです。なぜこの人は糖尿病なのかと医者が調べる場合は、その人は二十年間にわたって生活習慣が悪かったからだと発見しても治療はできません。いま現在の原因のみを見ると治療が成り立ちます。因果法則は物事の過去現在未来の流れを解明するものにしなくても結構です。それは正しく知り得ないし、観念的な、形而上学的な、非実践的な話になってしまう恐れがあります。お釈迦様と同じく私たちも因果法則をさまざまな問題において解決策を見いだす目的で、いま現在の因縁を調べて利用したほうがよいと思います。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第六巻 縁起の分析p297】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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