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心の明るさは消えません

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月10日
  • 読了時間: 1分

次のatthaṅgamāyaは「なくす、消える」という意味なのです。だからと言って、「覚った人をぶん殴っても痛くない」ということではありません。身体の痛みはありますが、ただ身体の痛みだけで、精神的には痛みは全くない。愁いと悲泣の場合は乗り越えるのです。外のことですから、それに対する自分はその状況を乗り越えて対処する。ですからdukkhaはあったりなかったりしますが、domanassa はまるっきりない。落ち込むこと、悩むこと、暗くなることは全くないのです。病気になって倒れても、心の明るさは消えません。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.30】

 
 
 

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