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心の明るさは消えません

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月10日
  • 読了時間: 1分

次のatthaṅgamāyaは「なくす、消える」という意味なのです。だからと言って、「覚った人をぶん殴っても痛くない」ということではありません。身体の痛みはありますが、ただ身体の痛みだけで、精神的には痛みは全くない。愁いと悲泣の場合は乗り越えるのです。外のことですから、それに対する自分はその状況を乗り越えて対処する。ですからdukkhaはあったりなかったりしますが、domanassa はまるっきりない。落ち込むこと、悩むこと、暗くなることは全くないのです。病気になって倒れても、心の明るさは消えません。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.30】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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