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気持ちいい

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月12日
  • 読了時間: 1分

我々は、「楽しい」とか「気持ちいい」とか言いますが、この「気持ちいい」ということ自体も痛みなのです。例えばマッサージしてもらうと気持ちいいと感じるでしょう。もともと痛みがあったならば、マッサージを受けて、「ああ気持ちいい」と言うのです。でも本当は、マッサージ自体が痛みなのです。身体に痛みがないとき、マッサージしてもらうとあまり気持ちよくなりません。かなり痛いのです。身体が凝って、凝ってどうしようもない、普段も痛い、歩くときも坐っているときも痛い。そんなときにマッサージしてもらって、「気持ちいい」と思うその感覚はほとんど嘘であって、相対的なものなのです。しっかりと瞑想で身体を観察すると、身体が全体的にただ痛みのかたまりで生きていることが分かります。そうすると恐怖感が生まれてきます。私が他所に生まれたとしても、心は痛みで動いているのではないかと。心は vedană (受、感覚)のあるところに生まれるのですから。「たとえ天国に行っても、あるのは痛みだけだ」と知ったところで、輪廻への恐怖感が生まれて、心が解脱の方向に向くのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.32】

 
 
 

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