top of page
検索

116 適正は業が決める

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月31日
  • 読了時間: 1分

 仏教の立場から言うと、その子がどんな仕事に就くのかは生まれたときにもう決まっています。業のプログラムによって決まっているのです。決まってはいますが、頑張って別の仕事をすることもできます。しかし、その場合は水が流れるように順調にはいかず、けっこう苦労しなくてはいけません。たとえば音楽の世界では、三~四歳でも才能の有無が見えますね。その年頃でも、才能がある子にとって、一日七~八時間ぐらい練習することは何でもないことです。楽しいのですね。天才的な子供たちへのインタビューを見聞きすると、「八時間ぐらい練習しますよ」などと平気で答えます。「そんなに練習して疲れない?」と聞かれても、「いえ、ぜんぜん疲れませんよ」と答えるのです。音楽家のケースはわかりやすいですが、サラリーマン家庭に生まれた子でも、みんな業によって、将来就くであろう仕事の適性は決まっています。ですから親が「あなたはこの職業がいいよ」などと指図する必要はありません。ましてや「何がなんでも医者になれ」などと言うのは、論外です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p146】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page