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118 やるべき仕事を徹底的にやる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月2日
  • 読了時間: 1分

 仏教が最終的に目指す「解脱」自体は、世間の暮らしとは関係ないかもしれませんが、この世で生きている間でも、お釈迦さまの道を歩む人は成功者です。仏教は負けの道ではありません。大胆で、具体的な期待しかつくりません。勝ちの期待です。「私は死なないように」、「病気にならないように」と頑張るのは、必ず負ける道です。必ず叶わない願望です。そうではなくて、「もう少し仕事がうまくいくように」というような、具体的で実際的な願望なら、負けません。仏教徒なら、頼まれた仕事を、文句のつけようがないほど手抜きをしないでこなします。頼んだ人が喜んでお金を払いたくなるように仕事をするのです。仏教の人というのは、「やることは徹底的に、しっかりやってやろう」と挑戦する人です。「あなた、そんなにいつも一生懸命で、生きることに執着しているのですか?」と聞かれたら、「いえ、生きることはどうってことない。しかし、失敗せずに一生懸命やるべきことをやるのは楽しいですよ」と答える。仏教徒とはそういう人で、仏教とはそういう道です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7」(サンガ新 022, 2008年) p140】

 
 
 

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