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12 心はコントロールできる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月19日
  • 読了時間: 1分

 心の感情は身体にも現れます。たとえば、心が怒ると身体が変わります。他を非難、侮辱したくなったり、攻撃したくなったり、破壊したくなったりします。身体の変化が怒りの度合いになります。怒りが身体に入ったら、他を害する以前に自分の身体に害を与えているのです。心は身体を道具として使っているのです。身体は物体なので、物理法則に従って動くのです。思うがままに管理できません。怒った人が人を刺したとしましょう。あとで気が変わっても、相手の傷が治って元に戻ることはありません。ボールを上に向けて投げたら、必ず落ちる。ボールを手から離した瞬間から、物理法則に従うのです。ですから、人が何かをやる前には真剣に考え直したほうがよいのです。心は自分で管理できます。怒りなどの悪感情が起きても、身体に影響を与える前に制御するのです。怒りは情けないと思えば、怒りは弱くなったり消えたりします。慈しみなどの善感情で心を清らかにすることもできます。物質ではなく、心を変えることにしましょう。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《怒り》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

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