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ブッダのことば

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月20日
  • 読了時間: 1分

Idha, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ,比丘たちよ、ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、「正知をそなえ、念をそなえ、世界における食欲と憂いを除いて住みます。 四種類の気づきのなかで第一は、身体に(kāye) 気づくことです。次に anupassī という単語が出てきます。Passatiとは「観る、観察する」という意味です。 anuは「沿う」という意味なので、身体に沿って観察する、という意味になります。身体というのは、常に動くものです。物のように停止しているのではありません。「こんなのはできるのか」という疑問が生じます。「できない」ではなく、誰もやっていないだけです。主観的に「私の身体」ではなく、客観的に「この身体の動き」を観察し始めるのです。Viahratiとは「生きる、生活する、住む」などの意味です。ですから客観的に「この身体の動き」を観察することを生活習慣にしなければいけないのです。これは「修行する」という意味になります。日常の「身体に気をつける」こととは随分違います。Ātāpīとは「修行する、精進する、苦労する、努力する、頑張る」という意味です。身体を観察することにおいては、修行しなくてはいけない、苦労しなくてはいけない、努力しなくてはいけない、頑張らなくてはいけないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.43】

 
 
 

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