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13 心が管理する身体

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月20日
  • 読了時間: 1分

 あなたの身体の調子は心の管理の結果です。欲と怒りがある人の身体は重いのです。怠け心のある人が歩くときに階段を見たら、「階段だ。ああ、嫌だ。これを、よっこらしょと上らなければいけない」と思ってしまいます。それで「ひざが痛い、足が痛い」ということになるのです。これが子供だったら、「ああ、階段だ!」と面白くなるのです。何のことなく、どんどんと上がっていくのです。皆さんにも経験があるでしょう。気持ちが元気なときは何のこともなく階段を上がります。怠け心が入ると、「ああ嫌だ。エスカレーターはないのか・・」と探したりします。同じ人でも、心が変わるたびに身体が変わるので、活発になったり、軽くなったり、重くなったり、痛くなったりするのです。心が弱い人の身体は硬くて重い。心に貪瞋痴が機能しないで集中力が生まれて明るくなっている場合は、身体も軽くて柔軟性を持つようになります。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《怒り》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第六巻 縁起の分析 p182軽安正覚支】

 
 
 

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