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16 自分を客観視するトレーニング

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月23日
  • 読了時間: 1分

 自分のことを他人のようにして見る訓練をする必要があります。仏教の観察瞑想というのは、その訓練です。特別なことはしません。ただ、自分の身体の感覚を、そのまま客観的に観ていくのです。その訓練を続けると、すぐにできるようになります。しかし、少し訓練をしないと、自分のことを他人のことのように見ることは難しいです。みなさん、ぜひ、やってみてください。いつでも、自分のことを他人のように見るのです。たとえば、自分の姓が田中だとしましょう。「私は悩んでいる」とは言わないで、「田中が悩んでいますね、このバカ者が」というふうに見ると、いきなり悩みが消えてしまいます。声に出して言う必要はありません。心の中で言えばいいのです。田中さんがカンカンに怒ったとしましょう。怒ってすごく恥ずかしいことをやったり、おかしくなったとき、すぐに自分で「田中が怒り狂っています」と言えれば、怒りはパッと消えてしまいます。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《怒り》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【13歳のチカラが世界を変える [新版] 13歳へ p65.】

 
 
 

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