top of page
検索

23 必要という基準で生きる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月30日
  • 読了時間: 1分

 「欲しい」という感情を避けて、「必要」という基準で生きる。必要なものであれば、いとも簡単に得られます。 この世界がなぜゴチャゴチャなのかといえば、誰もが「欲しい」で生きているからです。「必要」で生きれば、世界はいつでも満たされています。仕事も、「必要」という基準でしてみてください。ものすごく楽になります。部下にも「これが必要だよ」と言えば、やってくれます。格好をつけるために朝七時に出勤しなくてもよいのです。もし仕事がたくさんあって「これが必要だけれど、朝七時ぐらいに来なければできない」となれば、みんな何のことなく来るのです。「会社が儲からないから七時に来い」と言われても、やはり来るでしょうが、それは強引で、恐ろしいやり方です。「必要」という言葉を我々が理解できれば、人間は幸福なのです。欲がからむと我々の能力は低下します。理性がなくなります。判断を間違えます。それで失敗します。欲があると、すごくストレスがたまるのです。キーワードは「必要ですか? 欲しいですか?」です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【真理のききめアルボムッレ・スマナサーラ法話選2 P118】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 

コメント


bottom of page