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238 探しても見つからない幸せ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月17日
  • 読了時間: 2分

 なぜ人間は幸せを探してしまうのでしょうか? みんな、「幸せになりたい、幸せになりたい」と言いますが、私はそれに対して「いい加減にしてください」と言いたいのです。生命が現れた時点から、人間はずっと幸せを探し続けています。裸で狩りをしていた石器時代にも幸せを探していました。 「獲物がとれればありがたい、幸せだ」と。獲物がとれれば、その日はお腹がいっぱいになって幸せかもしれませんが、次の日にはまたお腹が空きます。ですから、昨日と何も変わっていないのです。現代人の我々には、獲物をとらなければならないという課題はありませんが、食べるものを探すという問題はいまだにあります。ですから仕事をしたり、研究したりして働きます。しかし仕事をしていくら食べるものが手に入っても、我々は一向に幸せになりません。それで今度は、美しいアクセサリーや洋服、いろいろな電化製品、お金や社会的地位を手に入れたくなります。くだらないところで幸せを探しているのです。そんなところに幸せがあったならば、人類はすでに幸せになっているはずです。そのようにして、我々はずっと幸せを探し求めています。仏教的にいえば、探し続けているのは「幸せがないから」です。もし幸せがあるのだったら、誰も探す必要はありません。つまり、「生きる」というシステムの中に幸せはないのです。それなのに、人間は幸せを探しています。探すことを生きると言うのです。雪の中で火の玉を探しても、見つかるわけがありません。我々は間違ったところを探しているのです。ですから、「探究する道を180度変えてください。心を見てください」と仏教では言うのです。仏教は「生きることは苦である」と説きます。それを発見したのがお釈迦様です。幸せを探すのではなく、我々は苦をなくすようがんばろうじゃないかと。生きることは、ろくでもないことです。本当に苦しくて、納得がいかないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《幸福》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p164】

 
 
 

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