top of page
検索

263 空・無我という真理

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年8月9日
  • 読了時間: 1分

 すべてのものは現れては消えます。世界は「現れては消える」ことの連続です。実体的なものは何もないということを「無常」といいます。「空」「無我」も同じ意味です。世界は蜃気楼のようなものだということです。「空」とは「空っぽ」ではなく、蜃気楼です。蜃気楼は、光の屈折により作られている現象ですが、私たちの肉眼には、本当にそこに山や木や湖があるように見えます。しかも、「なんてきれいなんだ」と思うなど、私たちの感情まで、実体のない蜃気楼によって変化します。ところが実際に行ってみると何もありません。しかしそれは、「本当に何もない(虚空)」という意味ではありません。原因によって、一時的に現れている現象なのです。「私」にしても、体が虚空なわけではないのです。しかし、だからといって実体的な、永遠不滅な「これ」というものは何もありません。それで「無我」ということになるのです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《無常》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの質問箱―仏教まるごとQA(サンガ新書046、2011年) p25】

 
 
 

最新記事

すべて表示
知識は執着をつくる原因にもなる

知識は執着をつくる原因にもなる  俗世間的な知識で考えると、四聖諦とは四つの項目です。内容はそれぞれ違います。仏弟子は四聖諦を別々に理解します。例えば第一は苦聖諦です。そのとき、生老病死などを学びます。第二の集聖諦は苦をつかさどる原因なので、三種類の渇愛について学びます。三番目の滅聖諦は渇愛がない状態である、したがって涅槃であると、なんとなく理解するだけで終わります。四番目の道聖諦は八項目の八正道

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑨ 諦随順智saccānulomika ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑨ 諦随順智saccānulomika ñāṇa   次に生まれるのは、諦随順智saccānulomika ñāṇa です。Sacca とはお釈迦様が語られた四聖諦のことです。仏道を学ぶ人々は、最初から四聖諦を学びます。徹底的に学んだとしても、弟子の理解は知識範囲に留まります。知識能力で理解できるところまで理解するのです。しかし知識とは、俗世間的な現象です。  知識によって執

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑧ 行捨智saṅkhārupekkhā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑧ 行捨智saṅkhārupekkhā ñāṇa  火事になった寝室の話に戻りましょう。脱出したいという目的で寝室を観察しました。どこも危険で、寝室の中にいては助かるはずがありません。寝室のことは諦めて放っておかなければいけません。寝室はどうなってもいっこうに構わないという気持ちにならなければいけないのです。  一切の現象から脱出すべきであるという智慧に基づいて観察を続けた修

 
 
 

コメント


bottom of page