top of page
検索

六番目の行道智見清浄:⑧ 行捨智saṅkhārupekkhā ñāṇa

  • sapporobukkyoujuku
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

六番目の行道智見清浄:⑧ 行捨智saṅkhārupekkhā ñāṇa

 火事になった寝室の話に戻りましょう。脱出したいという目的で寝室を観察しました。どこも危険で、寝室の中にいては助かるはずがありません。寝室のことは諦めて放っておかなければいけません。寝室はどうなってもいっこうに構わないという気持ちにならなければいけないのです。

 一切の現象から脱出すべきであるという智慧に基づいて観察を続けた修行者は、一切のnāma とrūpa のことはどうなってもいっこうに構わないという気持ちになります。

 今まで説明した智慧の段階では、心は次から次へと強いインパクトを受けてきました。今度は徹底して冷静な状況をつくるのです。そのためにも、またnāma とrūpa を観察しなければいけません。

 いかなるnāma であれrūpa であれ、すべては無常です。すべては苦です。すべては無我です。すべては生滅の流れで成り立っています。放っておきましょう。すべては危険であると知った上で現れる冷静さは、尋常なものではありません。俗世間の人々に理解できそうなものでもないのです。超越した精神状態です。それに達したら、saṅkhārupekkhā ñāṇa 行捨智と言います。 

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p148】

 
 
 

最新記事

すべて表示
終局のステージの智慧も俗世間の法

終局のステージの智慧も俗世間の法  言葉で書くと、ここまでの説明のようになりますが、修行者の心の中に起こる出来事は言葉にすることはできません。修行者の心の中には四聖諦の四という単語さえも起きません。ただ、一切の現象のありのままの姿を発見するのです。現象は無常・苦・無我であるという立場で、時間をかけて観察して智慧を開発してきたのです。  終局のステージでも同じことかと、思われるでしょう。同じではあり

 
 
 
正しく四聖諦を発見すると諦随順智が現れる

正しく四聖諦を発見すると諦随順智が現れる  正しく四聖諦を発見するとは、諦随順智が現れることです。このときは、四聖諦は四つではありません。智慧一つです。これについて、無駄な議論は止めていただきたいのです。四聖諦が一つの真理になるはずがない、もし一つだというなら、それはどういうことだろうか、などと考えるのは、止めた方がよいです。四聖諦を発見するとは、真理はたった一つであるという立場で発見することです

 
 
 
知識は執着をつくる原因にもなる

知識は執着をつくる原因にもなる  俗世間的な知識で考えると、四聖諦とは四つの項目です。内容はそれぞれ違います。仏弟子は四聖諦を別々に理解します。例えば第一は苦聖諦です。そのとき、生老病死などを学びます。第二の集聖諦は苦をつかさどる原因なので、三種類の渇愛について学びます。三番目の滅聖諦は渇愛がない状態である、したがって涅槃であると、なんとなく理解するだけで終わります。四番目の道聖諦は八項目の八正道

 
 
 

コメント


bottom of page