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知識は執着をつくる原因にもなる

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月13日
  • 読了時間: 1分

知識は執着をつくる原因にもなる

 俗世間的な知識で考えると、四聖諦とは四つの項目です。内容はそれぞれ違います。仏弟子は四聖諦を別々に理解します。例えば第一は苦聖諦です。そのとき、生老病死などを学びます。第二の集聖諦は苦をつかさどる原因なので、三種類の渇愛について学びます。三番目の滅聖諦は渇愛がない状態である、したがって涅槃であると、なんとなく理解するだけで終わります。四番目の道聖諦は八項目の八正道になります。それは理解できる項目なので、詳しく学べます。それから仏道を実践するということで、八正道を実践するのです。ヴィパッサナー実践という名前で『念処経』に説かれているように気づきの実践をしますが、これは正真正銘の八正道の実践です。しかしここまでの四聖諦に対する理解は俗世間的なもので、知識の範囲です。知識は執着をつくる原因にもなります。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p149】

 
 
 

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