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268 寝たきりになったとしても

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年9月22日
  • 読了時間: 2分

 年をとって寝たきりになったとしても、そのときは自分の立場を認めて、気持ちよくお世話をしてもらいましょう。あれやこれや周りに文句を言ったり、命令をしたりすることはやめればいいのです。寝たきりになっている人が、自分の立場を忘れて文句を言ったり命令したりすると、夜も寝ないで一生懸命に看病している人は、当然、嫌になってしまいます。そうではなく、寝たきりになっても「ありがとう、本当に大変ですね」と感謝しながらいることは、自分の立場を認めれば楽にできるのです。「こんな身体になって、迷惑をかけるね。 私は早く死ねばいいのだけど」などと言えば、「おばあちゃん、何をバカなこと言ってるんですか」と、みんな一生懸命に面倒を見てくれるでしょう。そのように寝たきりになっても、さらには死ぬ瞬間でも、すごく明るく幸福に生きていくことはできるのです。卑屈になる必要はまったくありません。たとえば孫がお見舞いに来たら、「こっちになど来なくていいから、きちんと勉強しなさい」とか「頑張っていますか?」と、おじいさん、おばあさんの立場でものを言う。そうすると、孫との正しい関係ができて、お互いに気持ちがいいものです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《老いの生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年 p54)

 
 
 

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