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28 余計な欲をやめる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月4日
  • 読了時間: 1分

 お釈迦様は、心に清らかな思考を入れ替える順番を説かれています。まずは、余計な怒り、余計な欲をやめることです。「余計」がポイントです。日常起こる常識的な欲、怒りではなく、常識を超える欲、怒りです。欲、怒り、嫉妬、恨みなどがたとえ心にあっても、常識範囲を超えてはいけないのです。常識、非常識を区別すると、理性が現れます。子供が勉強しないで遊ぶと、少々怒ってあげなくてはいけない。お腹が空くと、おいしく気持ちよく食べたくなります。常識範囲です。服を買うときは、かわいく美しく見える程度の服を買う。常識範囲です。子供に怒ったのに、怒りが消えません。さらに悪いことをするでしょうと推測するから、怒りが続く。非常識です。食べるならば毎回、ごちそうを食べなくてはと思うと非常識です。服やカバンなどが高級ブランドでなければと思うならば、非常識の欲。家族を愛すること、仕事を愛すること、休日に友達と楽しく過すことなどは、常識範囲の欲。妄想のせいで、いとも簡単に常識範囲が破れます。それに気をつけるのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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