282 すべて一時的
- sapporobukkyoujuku
- 2024年8月27日
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すべては一時的なものであるということです。仏教用語では「無常」といいます。桜がはかなく散るようなことを情緒的にとらえて無常というのではありません。「一時的」で「本当のところというものはない」というのが「無常」です。きちんと無常を、すべては一時的であることを知っておけば、実に気楽です。執着もなくなるし、煩悩もなくなるし、人の話にも乗らないし、「ああ、そう」ということで終わります。「よかったねぇ」も「ああ、これは大変ですねぇ」もすべて一時的。世の中は、なにひとつ当てになりません。そのように「因縁によって一時的に現象があらわれるのだ」ということの発見を「智慧」というのです。その理解があらわれたら、もう無智がないのです。バカが治るのです。ですからわれわれは、常に認識しつづけている一切の現象に対する因縁関係はなんなのか、と知るように努力することが大切なのです。智慧を得ようとして、なにか考えを勉強したり、先人の考えを学んだりしても知識は増えるが智慧にはなりません。残念ながら知識とは合成したものです。外から新しいデータを導入することは智慧にならないのです。頑張って強引に「無智」を破ることを「智慧」というのです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《無常》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【バカの理由 役立つ初期仏教法話12 (サンガ新書045) p117】
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