top of page
検索

296 自我を捨てれば問題はなくなる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年9月10日
  • 読了時間: 1分

 心というのは、わがままな大バカ者、手に負えない曲者(くせもの)です。エゴを守るためにあの手この手の言い訳を繰り出します。では、どうすればいいかというと、答えは「自我を捨てること」です。自我からすべての問題が生まれるのですから、それがなくなれば問題も消えます。自我を捨てるということは、「自分の心は、弱くて脆(もろ)くて大したことないものだ。どうでもよくてくだらない心だから、誰のものでも別に同じだ」という事実を認識することです。自分という自我を完全に横に置いておければ、自分が何者でもないことを心から理解できます。すると、失敗しても成功しても、平然としていられるのです。たとえ失敗しても、「自分は大したことない人間なんだから、まあ仕方ない」と思うだけで、怒りや落ち込みなどはありません。逆に成功しても「我ながらよくやるじゃないか。でもまあ、たまたまうまくいっただけだ」と思うだけで、偉そうな気分にはけっしてなりません。ぜんぶ大したことではなくなります。いつもそういう気持ちで生きていられれば、絶対に病気にはなりません。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心は病気 役立つ初期仏教法話2 (サンガ新書2006年) p】

 
 
 

最新記事

すべて表示
いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる

いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる  解脱に達することができたのは、釈尊の説かれた観察方法を実践したからです。したがって、苦を乗り越えるためには観察実践が正しい方法であるということになります。心を清らかにするために、魂を浄化するために、真我を体験するために、などなどの目的を設定して、その目的に達するために世の中でいろいろな方法が説かれています。それらはすべて間違いであると、修行者

 
 
 
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 

コメント


bottom of page