top of page
検索

299 ありのままを知って悟る

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年9月13日
  • 読了時間: 1分

 耳に絶えずなんらかの音が触れていますね。この本を読んでいる今も、何かしら聞こえているでしょう? その音だけを聞いてみてください。「あ、これは鳥のさえずりだ」「カラスの声だ」「子供が遊ぶ音だ」などという妄想はしないで、音だけ聞きます。そうすると、瞬間、瞬間、感情が変わること、聴覚が変わること、音も瞬間、瞬間、変わることを発見します。「私」が、「自我」が、ないことを発見します。たちまち悟りに達します。それで苦しみが消えます。 頭の中で妄想しないで、捏造(ねつぞう)しないで、ただ、「いる」だけです。ただ、いるだけで悟ることができます。そのとき初めて、「自分という実体は成り立たない」「すべては瞬間に変わっていく現象のみだ」「欲張ったり怒ったりするに値しないものだ」とわかります。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6」 (サンガ新書2008年) p130】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 

コメント


bottom of page