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308 執着とは勘違い

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年9月22日
  • 読了時間: 1分

 何もしないで、何も思考しないで、捏造(ねつぞう)しないで、ただ、見て、聞いて、感じているのです。そうすると、「ものごとは変化していくのだ。それだけじゃない、自分という感覚も変化しているのだ。なるほど、何のことはないのだ」と理解します。そこで、もう怒る必要はなくなります。すべては変わって消えてしまうものですから、何に怒るというのでしょう。怒る必要はありませんね。また、すべては変わって消えてしまうものですから、執着に値しないのだということも発見します。正確には、執着に値しないのではなく、はじめから執着ができないものだと発見し、悟りに達します。 よく「執着を捨てろ」と言いますが、捨てる必要はありません。はじめからものごとには執着できないのですよ。執着という勘違いがあるだけです。「あ、そうか。執着という勘違いがあるだけなのだ」とわかったら、心は悟りに達します。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6」 (サンガ新書2008年) p131】

 
 
 

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