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317 調和のとれた生き方をしよう

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月1日
  • 読了時間: 1分

 金などの道具に支配されると、人は欲・怒り・憎しみ・嫉妬・悩み・悲しみという原動力に頼らなくてはいけなくなります。逆に、金などはみな、仲良く平和で幸福に生きるための道具に過ぎないのだと思うと、その人の生き方は「愛・慈しみ」に支配されるのです。欲・怒り・憎しみ・嫉妬・悩み・悲しみに居場所がなくなるのです。金・地位・名誉・権力は、生きるために必要な道具だと理解してその通りに生きる人が、生きる真の目的と、世俗的な物事を見事に調和させているのです。世間にどっぷりと入り込んで生きることは正しくない。世間が恐ろしい悪魔だと思って逃げることも正しくない。私が元気で頑張って生きることで、皆の役に立つならば、それこそ調和に達した生き方なのです。慈しみを、生きる原動力にしてみましょう。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著 (2007年) p236】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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