top of page
検索

320 行為の善悪

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月4日
  • 読了時間: 1分

人が行う行為は、体の行為、言葉の行為、心の行為三種類です。この三つの行為は、結果を考察すると三種類があります。 ①自分のため・利益になる行為(善業)と利益にならない行為(悪業) ②他人のため・利益になる行為(善業)と利益にならない行為(悪業)  ③自分と他人のため・利益になる行為(善業)と利益にならない行為(悪業)人は善業だけ行えば幸福になるということは決まっています。しかし、無知な人間は感情の発作で行動して不幸になるのです。感情が起きても「一旦停止」を実行すると感情が消えるし、必ず幸福になるのです。なぜこのような道徳判断をブッダが推薦しているのでしょう? この判断基準の下にある普遍的な法則はなんでしょう? それは慈悲です。慈しみこそが善なのです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【Power up Your Life 力強く生きるためにブッダが説いたカルマの法(2007年) (サンガ新書2009年) p 227】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page