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321 慈悲の瞑想で狭い心を広くする

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月5日
  • 読了時間: 1分

 人間というのは、とんでもないわがままな存在なのです。よく、人間は尊い存在だとか言われますが、とんでもありません。ひどくわがままでいい加減な、自分だけよければよいと思っている存在なのです。ですので、まず正直に、「自分が幸せでありますように」と念じます。そのとき、本当に自分が幸せであってほしいと、正直に真面目に念じましょう。同じように、「自分のまわりの人々、親戚、親しい人々が、みんな幸福になってほしい」と、真剣に念じてあげてください。自分だけのことが気になっていた狭い気持ちが、親しい人々も含める大きいものになります。狭い心が広くなっていくのです。さらに、一切の生命に対しても同じく、「幸福でありますように」と真剣に念じます。自分の心はじわじわと拡大して、生命なら、誰のことでも素直に心配できる人間になります。人の能力を思いっきり狭くするエゴがなくなっていきます。エゴイストは自分でも苦しいのです。まわりにも嫌われます。まわりにも不幸を撒き散らします。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4」 (サンガ新書13 2007年) p145】

 
 
 

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