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322 慈しみで生きると幸福に生きられる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月6日
  • 読了時間: 1分

 「五つの戒も守れない。十善も多い」と弱音を吐く人にブッダは一つだけ守るという別な方法を提案します。それは二十四時間すべての生命に対して慈しみの気持ちで過ごしなさいということです。他人に慈しみの気持ちを抱くと生きることは奇跡的に楽になります。やることはなんであろうとも見事に成功します。自分のまわりは味方ばかりであふれます。自分を応援する人は何人でもいますが、足を引っ張る人は一人もいなくなります。心の中の、欲も怒りも憎しみも消えてしまいます。慈しみはすべての善業を引きよせる行為です。それだけではありません。いままで蓄積して来た悪業のポテンシャルも、結果を出す機会がなくなって沈んでしまうのです。ということは、いとも簡単に幸福一色で生きられるという意味なのです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【Power up Your Life 力強く生きるためにブッダが説いたカルマの法(2007年) (サンガ新書2009年) p206】

 
 
 

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