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39 与えることで幸福になる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月15日
  • 読了時間: 1分

 お釈迦様は、因果法則を知って、「じゃあ、取ることではなく、与えることをやってみたらどうですか」と説かれたのです。こちらが「取る」だど相手も「取る」になります。こちらが「与える」だと、向こうは逆のことを感じます。なんとなく「申し訳ない」という気分になります。われわれは、動物と仲良くしたいとき、いつでも「与える」ということをやっているでしょう。言葉の通じない動物たちにも、こちらの「与える」というエネルギーに負けます。負けて、こちらのいうことをやってくれます。ですから、われわれは「取る」という欲ではなくて「与える」というエネルギーを心に作ってしまえばいいのです。そうすると、いきなり恵まれた環境が生まれます。いつも周りから恵みをもらえる状態になるのです。「与える」ことは、恵まれるポテンシャルとなって、恵みが寄ってくるのです。「取る」ことはその反対で、罪になります。「与える」を繰り返していくと、何もせずとも、何の罪も犯さないで、ものすごく豊かになります。幸福になります。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【欲ばらないこと 役立つ初期仏教法話13 (サンガ新書018,2011年) p198】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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