top of page
検索

群盲象を撫でる

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月17日
  • 読了時間: 1分

生まれつき目が見えない人々の前に、象を連れてきて、「象とはどんな生き物かと説明してくれ」と、その人々に頼みます。身体を触った人にとって、象は山のような存在です。尾っぽを触った人には、ホウキのような存在です。足を撫でた人からすれば臼のような存在です。耳を撫でた人は脱穀に使う箕のような存在だと言います。・・・・・・互いの意見はあまりにも違うので、お互いに議論を始めるのです。この例え話は、ほんのわずかな経験だけに頼って結論に走ることの危険性を示しています。同時に、ものごとを全体的に見るために必要な観察能力が欠けていることも示しています。群盲には視覚能力が欠けていたのです。私たちには観察能力が欠けているのです。大念処経はこの問題を解決して、観察能力を育てる方法を教えているのです。象が見えた瞬間、群育が繰り広げた全ての議論が消えて平和になるように、私たちに観察能力が身につけば、全ての疑が消えて、心が平和になるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.40】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page