top of page
検索

58 生きることは苦であると念じる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月6日
  • 読了時間: 1分

 智慧で、真理で、怒りというバケモノを退治しましょう。難しくはありません。まず、仏教の伝統的なやり方を紹介します。 それは「一切の現象は無常だ。儚いものだ。変化し続けるのだ」というような文章をなんとなく頭の中で念じ続けることです。「なんか嫌だなぁ」と思うことが起きたら、瞬時に「無常だからですね。あり得ることですね」と反応します。それから、「生きることは根本的に苦である」と念じることもあます。苦とは、苦しいという意味だけではありません。人生には、苦しいときも楽しいときもあります。それとは関係なく、瞬間瞬間、老いていくのです。生きるとは、死に向かってまっしぐらに走ることです。必死で頑張って生きているのは当たり前ですが、生きるとはなんだか虚しいことなのです。この理解に基づいて、「生きるとは苦である」と念じるのです。これは伝統的な実践方法です。常に清らかな心で、落ち着いた心でいることができます。ひたすら唱えるのではありません。100回、1000回という回数ではなく、この念が人生全体に行き渡ることが必要です。宗教的な「行」ではなく、真理を確認する仕事です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らない練習 p123】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page