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62 肉体には痛みしか生まれない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月8日
  • 読了時間: 1分

 肉体の中では、痛みしか生まれません。「人生は楽だ、楽しい」などとみんな思っていますが、細胞は、正確に言えば、痛みしか感じません。痛みが多いか少ないかというだけのことです。疲れた人がソファに座ると、「ああ楽だ」と言いますが、痛みの場所や感じが変わって、その分楽になったと錯覚しているだけです。その証拠に、何時間もソファに座り続けていると、痛くてたまらなくなります。ソファに座ることが楽なら、いつまでもずっと楽であり続けるはずなのですが、痛みの場所が移って、一つの場所に痛みがなくなって、他の場所に、それまでとは違う、少し小さい痛みが生まれただけです。 結局、感じるのは痛みだけです。痛みの感じを一生懸命変化させながら生きているのです。ある痛みを感じて、それが強力になってくると、違う痛みに変化させる、また変化させる、という具合に、痛みから痛みへとがんばるだけです。それでも「人生は幸福だ、楽はいっぱいある」と誤解するのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第一巻 物質の分析 p291】

 
 
 

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