top of page
検索

74 矛盾にぶつかったら解脱するべきという概念がわかる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月20日
  • 読了時間: 2分

 お釈迦さまはあえて矛盾を入れてあげるんです。あえて矛盾を入れるのだと知っているから、命令調で「やるなかれ」とは言わないんです。ただ、「やってはならないんだよ」と戒めることで、本人にちょっと自由を与えてあげているんです。たとえ個人で肉・魚を食べないということにしたとしても、ジャガイモやキャベツを食べているでしょうに。お米を食べているでしょうに。それも結局、生きているものでしょう。石は食べられないし、砂は食べられない。とにかく栄養になるものはぜんぶ、なんらかの形で命なんです。魚を捕って食べたら、それは自然破壊でしょう。ジャガイモがせっかく自分で芋を作ったのは自分のためであって、人間はそれを奪っているんでしょう。だから自然を守るといっても、そちらにはまたすごく極限的な矛盾があるんですね。べつに個人個人がわざと悪いことをしているわけではありません。これははめられているんです。だから「輪廻」という単語を使っていますよ。「輪廻にはめられているんだ」と。すべての生命は輪廻という刑務所に閉じ込められているんです。われわれは刑務所で拷問されて、あちこちやられて、それで怒ってやり返したりする。そういう繰り返しにはめられているのだから、自然を正当化するのでも、命を賛嘆するのでもなく、とにかく輪廻を脱出しなさいよと。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《仏教》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの歩き方 立松和平氏との共著 (2006年) p226】

 
 
 

最新記事

すべて表示
身体の動きに気づく

yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā.‘‘Katame cattāro? すなわち、それは四念処です。 四とは何か。Cattāro satipaṭṭhānā と説かれているので、気づきは四種類になります。気づきとは、みな毎日やっていることではないかと思わ...

 
 
 
道には目的がなければいけない

そこで次に、サティ (sati) の実践によって「nibbānassa sacchikiriyā 涅槃を体得・体験する」という、達すべき目的を示しているのです。現代人は「瞑想すれば精神的に落ち着きます。集中力が上がります。ストレスがなくなります。それで仕事がはかどります」と...

 
 
 
群盲象を撫でる

生まれつき目が見えない人々の前に、象を連れてきて、「象とはどんな生き物かと説明してくれ」と、その人々に頼みます。身体を触った人にとって、象は山のような存在です。尾っぽを触った人には、ホウキのような存在です。足を撫でた人からすれば臼のような存在です。耳を撫でた人は脱穀に使う箕...

 
 
 

Comments


bottom of page