top of page
検索

77 最高の修行

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月23日
  • 読了時間: 1分

 私たちは人生がスムーズに流れてほしいと期待しています。問題やトラブルに遭遇することは嫌なのです。失敗も避けたいのです。そう願うことは常識的な希望であると思っています。本当にそうなのでしょうか? これは人々のわがままな希望なのです。自己中心的な考えです。この世で、物事は私たちの期待するようには起こりません。私の期待だけではなく、他人の期待通りにも物事は進まないのです。期待希望なら、いくらでもつくれます。無数につくれます。しかし、期待希望を実現しようとしたら話は別です。期待、希望、夢などは自我のあらわれです。エゴのあらわれです。自己主張すればするほど、期待希望も増えます。同時に、期待外れと失望感で、悩んで落ち込む結果も増大します。生きる楽しみは跡形もなく消えてしまいます。自我という錯覚にさいなまれることなく生きられるならば、その人は安穏で幸福に生きているのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【月刊「武道」 2015年9月号】

 
 
 

最新記事

すべて表示
身体の動きに気づく

yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā.‘‘Katame cattāro? すなわち、それは四念処です。 四とは何か。Cattāro satipaṭṭhānā と説かれているので、気づきは四種類になります。気づきとは、みな毎日やっていることではないかと思わ...

 
 
 
道には目的がなければいけない

そこで次に、サティ (sati) の実践によって「nibbānassa sacchikiriyā 涅槃を体得・体験する」という、達すべき目的を示しているのです。現代人は「瞑想すれば精神的に落ち着きます。集中力が上がります。ストレスがなくなります。それで仕事がはかどります」と...

 
 
 
群盲象を撫でる

生まれつき目が見えない人々の前に、象を連れてきて、「象とはどんな生き物かと説明してくれ」と、その人々に頼みます。身体を触った人にとって、象は山のような存在です。尾っぽを触った人には、ホウキのような存在です。足を撫でた人からすれば臼のような存在です。耳を撫でた人は脱穀に使う箕...

 
 
 

Comments


bottom of page