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81 環境に左右されない心をつくる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月27日
  • 読了時間: 1分

 心を育てる必要があるのです。「心を育てる」とは、「環境がいろいろ変わっても、心を良い状態で守る。保つ」ということです。それが、心を育てる修行になるのです。そういうわけで、仏教では修行はかならず必要なものであって、無料で天国行きの切符をもらうなどということはないのです。それで、心は環境からの影響を受けて、すぐに変化してしまう。環境の操り人形になっている。そうすると、変化して、どうなるかは分かりません。本人にも周りにも、理解することができないのです。今優しい人が、良くない環境に入ったとたん、優しくない人間になってしまうかもしれません。人がどんな環境で一生を生きるかということは、我々には予測できません。ですから、心の状態は予測できないのです。それで、「心を育てる」ということをするのです。普通の心は、得すると喜び、損すると落ち込むのです。褒められると、ものすごく舞い上がる。反対にけなされると、ものすごく落ち込んで、怒りを発生させて、ものすごく恐ろしい人間になってしまうのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第五巻 業(カルマ) と輪題の分析」 藤本晃氏との共著(2009年) p269】

 
 
 

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