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82 ありのままに見たら真理を発見する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月28日
  • 読了時間: 1分

 何の先入観もなく観察すると、自動的に真理を発見することになります。だって、何の先入観もないのだから。だからお釈迦様が「ありのまま」という単語を使ったのは、そういうことなのです。「ありのままに観ましょう。あってほしいままではなくて」と。仮説があったら「あってほしいまま」ということでしょう? 研究する人は、自分がつくった仮説が正しいと証明されたら、自分にとっていい結果でしょう? だから、ありのままを観ようということではないのです。ありのままに観たら真理しか発見しないのです。それは、人に何を言われても別にいい、まったく気にならないのです。たとえは、当時のインドでは「実体がある」「魂がある」とみんな思っていました。しかし、たった一、お釈迦様だけが「ない」と言っていました。真理を発見した人には「これを言ったらまずい」とか、「その考えは世間の考えと違う」というのはないのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【浄心への道順 瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話p147】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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