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90 物事には順番がある

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月5日
  • 読了時間: 1分

 物事には〈順番〉があります。「では瞑想して解脱に達しましょう」と言っても、無駄骨に終わってしまうのがオチです。一週間で億万長者になると決めるようなものです。億万長者になれないわけではありません。それにも順番があります。理性に基づいて正しい順番で進めば、一週間ではなく適切な時期に、億万長者になっているのです。究極の幸福に達することにも、順番があります。道徳的な人間になることが、最初のステップです。世間の流れに流されないように気をつけること、物事を自分自身で判断してみること、常に落ち着いた心でいるようにと努力すること、自分と周りを客観的に観察すること、観察しながら「なぜこの結果になったのか?」と因果関係を発見することなどの順番があります。この能力を備えた人が、自分自身の命そのものを観察するのです。それを瞑想というのです。瞑想実践する人は現象の因果関係を発見するのです。それが解脱に達する順番です。種を植えたら次の日収穫できるものではないのです。実るまで励むのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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