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92 人生の舵を操作するのは自分

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月7日
  • 読了時間: 1分

 業は、業だけではたらくわけではなく、意志も環境も関係します。ですから、私たちは業を気にする必要はないのです。たとえ業が善くなくても、舵を操作することで生きる道を変えられます。操縦桿を握っているのは、自分なのです。自分の人生を、正しく自分の好きな方向へ操縦すればよろしいのです。それが業のいちばん大事なポイントです。業そのものが、まるで絶対者みたいにすべてを支配している側面はありますが、cetanā (チェータナアー)意志がないとどうにもなりません。ご馳走を食べる運命があっても、自分が自分の意志でその方向へはたらきかけなければ、ご馳走は食べられないのです。この cetanā意志は、仏教がものすごく強烈に押すポイントです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【業/苦/死―アルボムッレスマナサーラ法話選12012年 p75】

 
 
 

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