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96 人を管理することは簡単ではない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月11日
  • 読了時間: 1分

 生かされていると感じたことがあるでしょう。それは業の働きです。生命には、じっとしていてはならない、何かをしなくてはいけないという衝動があります。自分の性格、価値観、習慣、ものの見方などによって、「何かを知らない」という気持ちが、「〇〇 をします」というふうに具体化します。これを「業自性」といいます。業が「個」をつくるのです。他人を管理するとは、他人の業を管理することになるのです。それが不可能といえるほど難しいのです。納得しない限り、人は自分の生き方を変えません。自分が産んだ赤ちゃんであっても、母親の希望通りに成長しません。個人には個性があります。個性が業の結果です。自分の個性を改良したいならば、それは自分自身でやらなくてはならないのです。しかし、人は業の働きを知らないので、他を管理しようとする。支配しようとする。結果は、人間関係がこじれてしまうのです。管理者も、管理される側も苦しいのです。他を管理することが不可能に近いほど、そうとう難しいものだと理解しておきましょう。 「業自性」という真理です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
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