top of page
検索

97 個人差はカルマによるもの

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月12日
  • 読了時間: 2分

 みんなが心を持っていて、心はみんな、認識する働き"心"としては同じなのですが、心の持つポテンシャルは、人それぞれ違います。同じ家族の兄弟姉妹として生まれても、生まれた子供たち人ひとりが持っている心のポテンシャルは、それぞれ違います。今生で同じ家族の兄弟姉妹として生まれても、生まれるまでの経験が違うからです。個人差というものは、ここから生まれてきます。ある人は暑いのは嫌い、別の人は寒いのは嫌いと言います。ある人は肉は嫌い、別の人は魚は嫌いと言います。怒りっぽい人や頭の良い人、音楽好きの人など、いろいろな区別が一人ひとりにあります。我々がアイデンティティなどと偉そうに言っているこのような個人差は、実は、心のポテシャル・カルマから生まれる物質エネルギーなのです。自分のカルマから生まれる物質によって、自分の身体が変化します。その、カルマによる身体の変化によって、ミケランジェロは絵が描けるし、カール・ルイスは走れるし、マイケル・ジャクソンは踊れるし、ベートーベンは音楽を作 れるのです。彼の耳が聞こえなくなったのも、自分のカルマから造られた物質エネルギーなのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第一巻 物質の分析 p219】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page