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98 業から見る生命の平等

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月13日
  • 読了時間: 2分

 みんな、ほぼ同じ量の業を持っていると理解してください。観覧車の上にいる人に、下にいる人を見下すことはできないでしょう? 観覧車は回っていますからね。我々は輪廻転生の中ではいろいろ生まれ変わります。生命は、寿命が終わったら死ななくてはいけませんね。人間は八十歳ぐらいになったら死ななくてはいけません。それから別な生命になる、それからまた死んで、別な生命になる。皆さん方が死んでもし蚊になったら、欲張っていきなり血を吸おうとするでしょう。おそらくすぐに潰されて死んでしまいます。それからまた別なところへ行く。神にもなる。餓鬼道にも堕ちる、地獄にも行く......。ですから地獄にいる生命が本当にかわいそうで悪人だとか、そんなことは言えるも のではありません。「あなたもこれから行きますからね」ということなのです。そして、地獄に堕ちても、その寿命、その業が終わったら、また亡くなって別なところへ行くのです。きれいな円は描いていない、激しい観覧車のようです。みんなが同じ軌道上でぐるぐる回っているのです。回っている最中に、ふと横を見たとき、無智な人に差別意識が生まれるのです。一方、業を気にする人は、皆、平等だと知って自分を戒めるのです。一般人が世の中を見て差別をするのに対し、業を気にする人は生命を差別せず、どんな生命に対しても「ああ、こんにちは」という態度で接します。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【業/苦/死―アルボムッレスマナサーラ法話選12012年 p53】

 
 
 

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