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五つの蓋

  • sapporobukkyoujuku
  • 12月1日
  • 読了時間: 1分

五つの蓋 仏教心理学には、五蓋という用語があります。心が超越状態にならないようにかけられている五つの蓋ふたのことです。五蓋とは、① kāmacchanda 欲愛、② byāpāda 瞋恚、③ thīna-middha 惛沈・睡眠、④ uddhacca-kukkucca 掉挙・後悔、⑤ vicikicchā 疑の五つです。基本的には貪瞋痴のことですが、貪瞋痴のさまざまな機能を言い表しています。貪瞋痴ではなく五蓋という場合は、心が超越状態にならないように抑えておくはたらきを言うのです。人間で言えば、各人には自分自身の本名がありますが、人をタクシー運転手、教師、医者などと呼ぶ場合は、その人がどのようなはたらきをしているのか、ということを意識しています。本名よりも仕事を意識するのです。これと同じように、心の成長を妨げる仕事をする貪瞋痴は、そのはたらきを意識して言う場合には、貪瞋痴から五つの蓋という呼び名に変わるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p73】

 
 
 

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