top of page
検索

五つの蓋

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月1日
  • 読了時間: 1分

五つの蓋 仏教心理学には、五蓋という用語があります。心が超越状態にならないようにかけられている五つの蓋ふたのことです。五蓋とは、① kāmacchanda 欲愛、② byāpāda 瞋恚、③ thīna-middha 惛沈・睡眠、④ uddhacca-kukkucca 掉挙・後悔、⑤ vicikicchā 疑の五つです。基本的には貪瞋痴のことですが、貪瞋痴のさまざまな機能を言い表しています。貪瞋痴ではなく五蓋という場合は、心が超越状態にならないように抑えておくはたらきを言うのです。人間で言えば、各人には自分自身の本名がありますが、人をタクシー運転手、教師、医者などと呼ぶ場合は、その人がどのようなはたらきをしているのか、ということを意識しています。本名よりも仕事を意識するのです。これと同じように、心の成長を妨げる仕事をする貪瞋痴は、そのはたらきを意識して言う場合には、貪瞋痴から五つの蓋という呼び名に変わるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p73】

 
 
 

最新記事

すべて表示
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 
観察の汚れ:① 光obhāsa

観察の汚れ:① 光obhāsa  Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの

 
 
 

コメント


bottom of page