top of page
検索

炎の喩え

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月3日
  • 読了時間: 1分

炎の喩え 解脱を説明した具体的な例を挙げると、「涅槃に入られた聖者はどうなるのか?」という質問に、炎の喩えでお答えになっています。「油と芯があって、炎が燃え続けます。もし油か芯がなくなったら、炎は消えます」と。そのとき、「その炎はどこへ行ったのでしょうか?」と質問されても、それは答えられません。言えるのは、「原因がなくなったから結果もなくなった」ということです。 煩悩があるから、五蘊で生命が構成されて変化し続けるのです。煩悩を完全に断ったところで、五蘊の構成が終了します。生命体として輪廻転生することが終了するのです。 このような説明を聞くと、涅槃とは虚無の境地ではないかと勘違いします。かつて仏教を研究した西洋の学者たちから、「ブッダは生きる苦しみに対して虚無の境地を推薦しているのだ」と言われたこともありました。これはそれほど突飛な意見というわけではありません。お釈迦様の時代にも、「ブッダは虚無を説く人である」との批判を受けたことがありました。お釈迦様はその批判に、「私は一切の煩悩の断滅を推薦するから、虚無主義者だと言われても構わない」とユーモア的に答えられています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p55】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page