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紙コップ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月26日
  • 読了時間: 1分

紙コップ例えば、紙コップを五つくらい取り出して、机の上に置きます。それからシャッフルします。では最初に置いた紙コップを見つけてください……それは無理です。五つの紙コップとも、まったく同じものに見えます。区別はできなくなります。 宿泊瞑想会では皆、面白いことをします。飲み物のために紙コップを使います。しかし資源の無駄遣いになるので、一杯飲んで使い捨てるのではなく同じ紙コップを一日使い続けます。朝、最初にコップを使ってから、コップに自分の名前を書いておきます。そうすることで、紙コップを一箇所に片づけてあっても、自分専用のコップを見つけることはいとも簡単になります。この場合は紙コップの区別ができないので、あえて特色をつくってあげているのです。 すべての現象は、一回限りの現象だとも言えます。毎年同じ桜の花は咲きません。咲いた花も一個一個違います。しかし派手な自性を持っていないので、同じに見えてしまいます。昨日の自分と今日の自分は同一ではありません。別人です。しかし、派手な自性を見いだせないので、昨日も今日も明日も、同じ自分だと思ってしまうのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p85】

 
 
 

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