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aniccaṃ khayaṭṭhena ─滅するという意味で無常

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月1日
  • 読了時間: 1分

aniccaṃ khayaṭṭhena ─滅するという意味で無常

 修行者が現象を観察するとき、気づくべき特色があります。

 音の例で説明します。修行中、何かの音が耳に入ります。それを確認します。前の聴覚が消えてから、次の音が耳に触れて新たな聴覚になります。雑念なく、高いレベルの集中力があるならば、すべての現象はこのパターンで起こるのだと発見することができます。

 痛みを観察するときでも、ただ一貫して痛いのではありません。瞬間の小さな痛みの流れです。一個の痛みが消えて壊れて、次の痛みが現れます。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p114】

 
 
 

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